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さとふる
城下町名古屋を支えた台所「小田井の市」
尾張屋のある清須市西枇杷島町は、江戸時代から明治・大正・昭和と四代にわたり、城下町名古屋を支えた台所「小田井の市」を中心に発展してました。明治初期(2年頃)、太田幸太郎と長男源一が興した山原商店は、小田井の市に集められた、この地方の特産品の方領大根、かりもり(青瓜)、故瓜などの野菜をかす漬に加工し、市場の一角で販売を始めました。

尾張名所図解にある下小田井の市(清須市所属)
下小田井の市をモチーフにしたにしび夢だいこん像(左写真)

江戸時代の小田井の市
尾張名所図絵より(清須市所蔵)
看板商品、守口大根奈良漬(守口漬)の製造へ
その後、改良を重ね、現在に継承してる製法を作り上げ、奈良漬専門の漬物店として評判を得ました。また、昭和初期には、現在の岐阜市則武地区で以前より栽培されていたホソリ大根を原料として取り入れ、看板商品、守口大根奈良漬(守口漬)の製造を始めたと言われています。
初代 太田幸太郎 銅像
尾張屋の歴史は守口漬の歴史
頑なに味を守り続けて140年
守口大根奈良漬(守口漬)の製造を始めた頃、屋号を尾張物産加工所と改め、商社、問屋を通し、名古屋名産「守口漬」を全国に販売しました。
第二次世界大戦中、職人の出征のため、2年ほど店を閉めましたが、戦後親戚の小澤利右衛門が四代目店主となり、事業を拡大しました。その後、五代目店主太田隆夫、そして六代目店主太田光則へ創業以来約140年間一貫した名古屋の味を頑なに守り続け、奈良漬専門店として暖簾を引き継いでおります。
現在の尾張屋
歴史に支えられ、今後も皆さまと共に
かつては戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で「吉例街道」とも呼ばれていた「美濃路(みのじ)」。尾張屋の地元である清須市西枇杷島町を通る美濃路は、将軍上洛の折にも使われ、公用道として重用された街道で、朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中などが美濃路を通行しました。こうした歴史上の繁栄と地域の方々にも支えられた尾張屋は、今後も歴史上の財産と人々を大切にしながら歩んでいきます。
尾張西枇杷島まつり
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